LIECHTENSTEIN (リヒテンシュタイン旅行記)



 ヴァティカン市国に始まり、サンマリノ(約3年後)、モナコ(約5年後)、アンドラ(約7年後)と続いた欧州大陸の「小国」への訪問は、リヒテンシュタインへの旅をもってどうしても「完結」させたかった。訪れる前から「何もない国」との評判を耳にしていたが、「どんな小さな国であっても実際に訪れてみなければその良し悪しはわからない」と考え、交通面で旅行者にとってはやや不便なところに位置するこの国を旅してみることを決めた。これは実際の訪問後に気づいたことであるが、リヒテンシュタインは私にとって、「最後まで行き残していた西欧の大陸国」でもあった。その意味でも、リヒテンシュタインへの旅は貴重な経験であったと言うことができる。

 旅は、スイスのジュネーヴ(Geneva)に住む高校時代の友人宅を拠点として、彼とともに車で日帰り観光をするという形にした。リヒテンシュタインへの旅の前日に夜遅くまで彼とキプロス旅行の想い出話などにふけっていたせいか、当日の朝、目覚めてみると時計の針はすでに午前8時半をまわっていた。「しまった!寝坊した」などとつぶやきながら、慌てて旅の支度をし、予定より1時間以上も遅れて、午前8時50分過ぎに出発した。  ジュネーヴ−リヒテンシュタイン間は、地図で見ると一見近そうなのであるが、実はかなり時間がかかるということを思い知らされた。高速道路は両者を直線で結ぶようには造られておらず、途中ローザンヌ(Lausanne)、ベルン(Bern)、チューリヒ(Zurich)などを通過しつつ、回りこむように向かわなければならないということが時間を要する一因であった。車の運転は友人が行ってくれたため、私は助手席に座っているだけであったが、それでも片道約4時間のドライブは長く感じた。あいにくの雨模様の一日で、視界があまり良くなかったせいもあろう。

 長い高速道路の走行を終えた車がスイスの国境の町に入り、橋に青と赤の国旗が掲げられたライン川(Rhein River)を渡ると、そこがリヒテンシュタインであった。スイス側からの入国は、入国審査も何もないいたってあっけないものであったが、リヒテンシュタインの国旗を通過したときには一抹のうれしさがあり、思わずその場で拍手をしてしまったほどであった。ひとまず橋からほど近い場所に車を止め、ただ国旗が掲揚されているだけの「国境」まで歩いた。橋の下に流れるライン川が、ちょうどスイスとリヒテンシュタインとを分けており、橋の中央には両者の分岐点となる目印の看板が設置されていた。私はここで、川の眺めとともに、その鉄製の看板をしっかりと写真に収めた。リヒテンシュタイン側の方にある標識から、この国境の町はルゲル(Ruggell)というところであることが判明した。リヒテンシュタインの「郊外の閑静な住宅街」といった感じの町であった。

 ルゲルを離れてしばらく牧歌的な風景の中を走り抜けると、シャーン(Schaan)の町に入った。リヒテンシュタインで初めて見た町らしい町であり、きれいな教会などもあったのだが、適当な駐車場がすぐに見つからなかったことなどもあって、そのまま通り過ぎてしまった。一人旅であったら絶対に歩いていたところであるが、何分友人の車の助手席に座っている身分であったため、あえて観光するのはあきらめた。

 そして、いよいよ首都ファドゥーツ(Vaduz)に到着した。ファドゥーツはシャーンから車で5分もかからないところであった。町の西にあるショッピングセンターの地下駐車場に車を止め、徒歩で観光を開始した。まずは、リヒテンシュタイン侯爵家のコレクションを収蔵した美術館を訪れた。個人のコレクションとしてはかなり充実しており、印象派やフランドル派の有名画家の作品もいろいろと展示されていたことが印象深い。館内にはなぜか日本人のスタッフがおり(聞けばリヒテンシュタインに20年近く住んでいるという)、解釈の難しい現代美術に関する展示作品を中心に、いろいろと丁寧に解説してもらった。彼女の解説がなければまったく何をモチーフとしたものなのか不明な作品が多かっただけに、非常にありがたいサービスであった。

 美術館を出るころには午後2時を過ぎていたが、相変わらず小雨が降っていた。2分も歩かないうちに市庁舎にたどり着き、ここで記念に写真を撮った。市庁舎のあたりから背後の山を見上げると、侯爵家の住むファドゥーツ城(Vaduz Castle)がよく見えた。しばし「あれがこの独立国家の牙城なのか…」と感慨深く眺めていた。空腹であったので、この近くのレストランで昼食をとることにした。レストランでは、メインメニュー(魚料理)のほかに、「リヒテンシュタイン風チーズスープ」という興味深いものがあったので、併せて注文してみた。リヒテンシュタイン訪問の8年前、スイスのチューリヒで食べたチーズフォンデュは匂いがきつくてまったくおいしさを感じなかったが、このスープはアルコールも微量で、なかなかおいしい味に仕上がっていた。それまでの空腹感とドライブの疲れを癒す暖かいスープであった。またこのレストランには、紙に描かれたリヒテンシュタインの鳥瞰図(地図)があったので、記念にもらうことにした。この鳥瞰図はこの小国の全体構造をビジュアルにかつほぼ的確に描いており、貴重な「お土産」となった。改めてこの描写を眺めてみると、リヒテンシュタインの国土の大部分は山であることがよくわかる。

 レストランを出た後、今度は国立博物館を目指して東に歩いた。しばらく歩くと、きれいな教会に隣接する比較的大きくて立派な建物が見えたので、これが博物館かと思ったが、実はそれはリヒテンシュタインの「国会」であった。ファドゥーツの市庁舎を訪れたとき、これとは別に国会議事堂が存在するのかどうかを疑問に思っていたのであるが、その解答がここで得られた。肝心の博物館は国会よりも少し西に戻った通りの一角にあったが、あいにく再建工事中で入場できなかった。隣には小さなツーリスト・インフォメーションがあったので、ここでいくつか観光資料をもらった。付近に切手博物館を発見したのでついでに立ち寄ってみたが、あいにく内部に入場はできなかった。切手と言えばサンマリノを思い出すが、このリヒテンシュタインでも切手収入は国家予算の重要部分を占めるのであろうか。

 駐車場に戻り、今度は下から見上げたファドゥーツ城を間近で見るべく、車で山をのぼっていった。旋回する山道を少し走ると、間もなく城にたどり着いた。最寄の駐車場に車を止め、このリヒテンシュタインの牙城の写真をいろいろな角度から撮影した。城の内部に入れないのが残念ではあるが、城の近くにはのどかな林も広がっており、いかにもリヒテンシュタインらしい光景であったと言えるかもしれない。これでファドゥーツの観光が終わったが、全体的にいかにも「普通の町」であり、ここが独立国家でなければ訪れようとはしなかったところである。前評判どおり、「たいしたものはない」小さな首都であった。

 続いて、ファドゥーツの町を離れ、トリエセン(Triesen)やトリエセンバーグ(Triesenberg)の町を経由しつつ、標高1602メートルのところに位置するマルブン(Malbun)の町を目指した。意外と長い峠道で、蛇行を繰り返していくうえに、悪天候による濃霧のため、なかなか大変なドライブとなった。同様の現象はキプロスのトロードス(Troodos)地方でも経験したばかりであり(「キプロス旅行記」参照)、なぜこう何度も濃霧と付き合わなければならないのかと感じたが、今回の運転者は友人の方であったため、私自身の苦労はほとんどなかった。濃霧の峠道を抜け、ようやくマルブンに着いたころには、少し晴れ間が見えていた。山の天気は変わりやすいというが、標高1303メートルの地点にあった手前のステッグ(Steg)の町とこのマルブンとでは、まったく異なる天気であったことが印象的であった(ステッグは雨)。マルブンはスキー場のあるところであるが、雪に覆われた山はもとより、雪に覆われずに生き生きとした緑が映える山並みも美しく、なかなか眺めの良い町であった。その景色の美しさに写真をバシバシと撮り、この町を後にした。

 その後、来た道を引き返してファドゥーツに戻ったが、山道から降りてくると、ファドゥーツの町がいかにも「都会」に見えてしまう。小さな普通の町でも「さすがは首都」である。そして、間もなくライン川を渡り、リヒテンシュタインを「出国」してスイスに抜けた。入国時と同様、出国手続きなどは一切ない。私のリヒテンシュタインの旅はこうして幕を閉じた。

 蛇足ながら、スイスに入ってからはひたすらジュネーヴに向けて車を走らせたのであるが、友人の要請に従い、チューリヒ湖(Lake Zurich)にさしかかろうとするあたりから私が運転を交代し、ベルン近郊までの高速道路を走った。これは、生まれて初めて経験する左ハンドル車(右側通行)の運転であった。それまで右ハンドル車に慣れていた典型的日本人の私にとって、車両感覚を把握するのに少し時間がかかり、どきどきしながらの運転であった。ちなみに、高速道路から見晴らすチューリヒ湖の景色はなかなかきれいであったので、パーキングエリアに車を止めて写真を撮った。ベルン近郊からジュネーヴまでは再び友人が運転し、無事ジュネーヴに戻ることができた。天候には恵まれなかったものの、貴重な旅ができて満足した一日であった。




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