After the trip in Cambodia, Laos and Thailand (カンボジア、ラオス、タイの旅を終えて)




 2005年4月29日(金)〜5月8日(日)、法定休日に有給休暇2日を加えて10連休を確保し、カンボジア、ラオス、タイの3か国を旅行してきました。カンボジアとラオスは初訪問、タイは1997年12月以来、7年半ぶり4度目の訪問になります。年末年始にスリランカを訪れて以来、「数ヶ月ぶりの」海外旅行でした。日本では数ヶ月間海外渡航の機会がないのはむしろ当たり前のことですが、フランス在住時代に毎週末のように海外旅行をしていた私にとっては、実に久々の海外旅行のように感じられました。時は酷暑の季節で、少し歩くだけで顔中汗だくになるような状態で、観光には体力を要しました。これまでの人生の中でこれほどまでに汗をかいたことはないのではないかと思えるほど、思いっきり発汗したように思えます。とりあえず持参した日焼け止めクリームは結局ほとんど使用しなかったため、真っ黒に焼けた顔で帰国しました。

 旅は9泊10日で実質滞在期間が8日間という短い期間ながら、いつものように、かなり盛りだくさんの見所をまわりました。具体的には下記の場所を訪れましたが、東南アジアの地図や後述の旅行記をご覧いただければおわかりいただけるとおり、短期間でかなりの距離を移動しており、また各訪問先の観光の密度も相当濃いものとなっています。東南アジア最大の見所とも言えるアンコール遺跡をようやく訪れることができたことが、今回の旅の最大の収穫でした。期待を裏切らない素晴らしい遺跡でした。

カンボジア
プノンペン(市内・郊外)、シェムリアップ、アンコール遺跡(アンコール・ワット、プノン・バケン、アンコール・トム、プリア・カン、バンテアイ・プレイ、ニャック・ポアン、クオル・コー、タ・ソム、東メボン、プレ・ループ、スラ・スラン、バンテアイ・クディ、タ・プローム、タ・ケウ、チャウ・サイ・テボーダ、トマノン)
ラオス
チャンパーサック(ワット・プー)、コーンパペンの滝、ビエンチャン(市内・郊外)、ルアンパバーン、クアンシーの滝
タイ
ウボン・ラーチャターニー、ウドーン・ターニー、バーン・チアン、コーンケン、ピッサヌローク、スコータイ、シー・サッチャナーライ


 長期旅行者が1か月程度かけてまわるようなコースをこれだけの期間に凝縮していますから、おのずとスケジュールはハードになります。結果として、「日中観光、夜移動」の繰り返しで、久々に「4泊連続の車中泊」を経験したうえに、そもそも宿泊したのは9泊中わずか3泊だけという”強行軍”でした。おまけに、タイの長距離列車やバスでは、運悪く2度も立ち席での夜行移動となり、肉体的にかなり辛い思いをしました。しかし、その甲斐あって、予定していた以上の見所をまわることができ、非常に満足しています。今回の主な旅程は下記のとおりです。なお、カンボジアビザは事前に日本で取得し(空港や国境でも取得可能)、ラオスビザは国境で取得しています。航空券については、成田・バンコク往復便とバンコク→プノンペン便については日本で購入しましたが、シェムリアップ→バンコク便についてはカンボジアで購入しました。

    金曜日/18:25 成田発(UA881便)
         23:00 バンコク(ドン・ムアン空港)着。空港泊。
    土曜日/7:25 バンコク(ドン・ムアン空港)発(PG920便)
         8:35 プノンペン着。市内観光。
         15:40 プノンペン発(タクシー)。
         16:20 プノン・チソール着。観光。
         17:00 プノン・チソール発(タクシー)
         17:20 トンレバティ着。寺院観光。
         18:10 トンレバティ発(タクシー)
         19:00 プノンペン着。宿泊。
    日曜日/7:30 プノンペン発(バス)
         13:40 シェムリアップ着。アンコール遺跡観光(レンタルサイクル)。宿泊。
    月曜日/終日、シェムリアップ市内及びアンコール遺跡観光。
         20:00 シェムリアップ発(PG947便)
         21:10 バンコク(ドン・ムアン空港)着
         21:49 バンコク(ドン・ムアン空港駅)発(列車)。車中泊。
    火曜日/7:55 ウボン・ラーチャターニー着。市内観光。
         9:00 ウボン・ラーチャターニー発(ソンテウ)
         10:10 ピブーン・マンサハーン着。乗換え。
         10:25 ピブーン・マンサハーン発(ソンテウ)。
         11:30 チョーン・メック着。越境(徒歩)。
         12:10 ワンタオ着。村内散策。
         12:20 ワンタオ発(タクシー)。
         13:00 パクセー着。夜行バスの切符購入・市内散策。
         13:10 パクセー発(タクシー&船)
         14:10 チャンパーサック(ワット・プー)着。観光。
         15:10 チャンパーサック(ワット・プー)発(タクシー&船)
         17:50 コーン(コーンパペンの滝)着。観光。
         18:10 コーン(コーンパペンの滝)発(タクシー)
         20:10 パクセー着。乗換え。
         20:30 パクセー発(バス)。車中泊。
    水曜日/6:00 ビエンチャン着。市内観光(レンタルサイクル)。
         14:20 ビエンチャン発(バス)
         15:10 ターナレーン(ブッダパーク)着。観光。
         16:25 ターナレーン(ブッダパーク)発(バス)。
         16:40 ミッタパーブ(友好橋)着。観光。
         16:50 ミッタパーブ(友好橋)発(バス)
         17:25 ビエンチャン着
         19:30 ビエンチャン発(バス)。車中泊。
    木曜日/5:30 ルアンパバーン(ルアンプラバーン)着。市内観光。
         13:30 ルアンパバーン発(ツアートラック)
         14:20 クアンシーの滝着。観光。
         15:10 クアンシーの滝発(ツアートラック)
         15:40 ムホン族の村着。観光。
         15:50 ムホン族の村発(ツアートラック)
         16:20 ルアンパバーン着。郊外(バーン・パノム)観光。
         19:30 ルアンパバーン発(バス)。車中泊。
    金曜日/6:00 ビエンチャン着。乗換え。
         7:00 ビエンチャン発(バス)。越境。
         9:00 ウドーン・ターニー着。市内観光。
         11:45 ウドーン・ターニー発(ソンテウ)。
         13:15 バーン・チアン着。市内・遺跡観光。
         15:10 バーン・チアン発(バイクタクシー&バス)
         16:15 ウドーン・ターニー着。乗換え。
         16:40 ウドーン・ターニー発(バス)
         18:30 コーンケン着。市内散策。
         19:30 コーンケン発(バス)
    土曜日/1:30 ピッサヌローク着。宿泊。市内観光。
         7:30 ピッサヌローク発(バス)
         8:40 スコータイ着。市内・遺跡観光(レンタルサイクル)。
         15:15 スコータイ発(タクシー)。
         16:05 シー・サッチャナーライ遺跡公園着。遺跡観光。
         17:50 シー・サッチャナーライ遺跡公園発(タクシー)
         18:40 スコータイ着
         18:55 スコータイ発(バス)。
         20:05 ピッサヌローク着。乗換え。
         21:00 ピッサヌローク発(バス)。車中泊。
    日曜日/3:00 バンコク着。タクシーで空港へ。
         6:05 バンコク(ドン・ムアン空港)発(NW28便)
         14:20 成田着。帰宅。

 旅の模様を以下に綴ります。まず、成田空港からの出発ですが、19時発のノースウェスト航空27便の航空券を所持していましたが、いきなりオーバーブッキングに遭い、急遽ユナイテッド航空の便に振り替えさせられました。結果的に無事所定の時間までにバンコクに到着できたので、問題はなかったのですが、出発早々焦らせてくれます。翌朝にプノンペンへの乗り継ぎ便を控えていただけに、どうしてもその日じゅうにバンコクに向けて出発する必要があったため、焦燥感はなおさらでした(バンコクから陸路でカンボジアに向かうか空路を選ぶかは悩みましたが、貴重な時間を節約するために、少なくとも往路はあえて空路で行くことにしました。しかも、多くの旅行者は直接アンコール遺跡観光の拠点となるシェムリアップへと飛びますが、私は首都プノンペンの観光もぜひ行いたかったので、空路入国先としてプノンペンを選び、シェムリアップへは陸路で向かうこととしました)。深夜にバンコクのドン・ムアン空港に到着後はあえて入国せず、トランジットエリア内のベンチ(入国後の空港内よりも安全)に横たわって一夜を明かし、翌朝のプノンペン行きの飛行機に搭乗しました。空港内のベンチは、もちろん寝心地は良くありませんが、疲れていたので自然と寝入ってしまいました。バンコクに空路深夜に到着し、翌朝に空路バンコクを経つ場合、このように入国せずに空港内で夜を明かす(トランジット用ホテルもある。4時間で40米ドル程度)のがベストでしょう。ただし、事前に乗り継ぎ便の航空券を所持していることが条件ですし、私のように機内預け荷物がない場合でないと、少々厄介なことになる可能性がありますが・・・。

 空路プノンペンに到着後、空港からバイクタクシー(2米ドル)で市内に向かい、ゲストハウス(エアコン付きシングルを選んだため8米ドル)にチェックインし、翌朝のシェムリアップ行きのバスのチケットを購入したうえで、市内観光に繰り出しました。プノンペン市内は徒歩でまわるにはやや広いので、見所から別の見所への移動にはバイクタクシーを多用しました。艶やかな王宮とシルバーパゴダの観光を皮切りに、クメール芸術の至宝ぞろいの展示品が並ぶ国立博物館、プノンペンの名前の由来となった婦人が建立したと言われるワット・プノン、カンボジア日本友好橋(日本橋)、フランスからの独立を記念して建てられた独立記念塔、思ったほどの活気はなかったセントラル・マーケット、ポル・ポト政権下の「粛清」の舞台となったトゥール・スレン博物館などを立て続けに見学しました。トゥール・スレン博物館にはカンボジアの「暗黒の時代」の遺物が写真とともに残されており、胸の締め付けられる思いがしました。

 トゥール・スレン博物館の見学を終えた後、客待ちをしていたバイクタクシーの運転手にタクシー(車)を呼んでもらい、それを用いて郊外の見所に足をのばすこととしました。プノンペンではバイクタクシーは至る所で簡単に拾えますが、車のタクシーはほとんど見かけず、このように電話等で呼び出さないと乗車するのが困難なのです。タクシーの運転手とは、プノン・チソールとトンレバティにあるワット・タプローム及びワット・ジェイポーをまわる条件で、40米ドルで合意しました。最初に向かったプノン・チソールはアンコール・ワットが建てられる前にできた仏教遺跡で、派手さはありませんが、印象深いところです。たどり着くまでに300段余りの階段をのぼらなければならないのでやや疲れましたが、遺跡から見渡す周囲の風景はなかなかのものでした。観光中は、人なつっこい地元の子どもたちに終始囲まれていました(彼らはお金をせびってきましたが、悪い癖をつけてはいけないと考え、ずっと断り続けていました。でも、最後にほんの少しだけ、日本円にしたら数十円程度ですが、あげてしまった・・・)。ワット・タプロームやワット・ジェイポーはプノン・チソールに比べるとやや見劣りしてしまいますが、ワット・タプロームの壁面などには、アンコール時代らしさを感じさせる優美な彫刻がたくさん残されていました。タクシーでプノンペンのゲストハウスに戻った後は、ゲストハウス附属のレストランで夕食をとり、間もなく就寝しました。

 翌朝はゲストハウス周辺のプノンペン市内を徒歩で散策し、食堂で朝食を済ませた後、ゲストハウスをチェックアウトしてシェムリアップ行きのバスに乗り込みました。これは宿泊したゲストハウス(キャピトル)の運営する長距離バスで、本来はシェムリアップへは夜行移動したいところでしたが、朝出発か昼出発かの選択肢しかなかったため、午前7時半発の便で移動することとしたものです。実際には出発は20分以上も遅れ、午前7時50分過ぎとなりました。その分シェムリアップでの観光時間が減ることになるので、短期旅行者としては、はらはらさせられました。

 午後にシェムリアップに到着後、バスターミナルからバイクタクシー(3000リエル)で予定していたタケオゲストハウスに向かいましたが、あいにくシングル部屋は満室でした。ドミトリー部屋に泊まるという選択肢もあったのですが、気合いを入れて観光に臨むために夜は個室でゆっくり休みたかったので、隣のブンナスゲストハウス(シングル5米ドル)に泊まることとしました。ここでは航空券の手配もお願いしようかと考えていたため、定評のあるタケオゲストハウスでなくて大丈夫だろうかという一抹の不安がありましたが、実際には部屋も清潔なうえにリーズナブルな料金で、航空券手配等のサービスも合格点で、しかもタケオほどには混雑しておらず、とても良いゲストハウスでした。

 チェックインの後、自転車を借りて(1米ドル)さっそくアンコール遺跡に向かいました。シェムリアップから約8キロ先のアンコール遺跡までは自転車にするかバイクタクシーをチャーターするかで迷いましたが、この日は午後のみの観光だったためとりあえず自転車を使用することとし、翌日の観光手段については別途検討することとしました。自転車でアンコール・ワットに向かう途中、誤って料金所を経由しないルートで到着してしまい、チェックポイントで来た道を戻って料金所を経由するよう指示を受け、かなりの時間と体力をロスするはめになりました。アンコール遺跡の観光には料金所で顔写真付きの通行証(3日間有効で40米ドル)を発券してもらう必要がありますから、必ず料金所のある道を通って向かうことが重要です。猛暑の中で回り道をさせられたこともあって、アンコール・ワットに到着したころにはすでに身体じゅうから汗がしたたり落ちていました。

 アンコール・ワットの観光には2時間余りの時間を費やしました。かねてより憧れていた名所であったため、建物の全体像はもとより、壁面に描かれた彫刻の数々も丁寧に見学しました。中央祠堂にものぼりましたが、ここの階段の勾配はかなり急で、上り下りするのがなかなかスリリングでした。さすがはアンコール・ワットとでも言うべき素晴らしい建造物でしたが、観光客(特に団体客)の数が予想以上に多く、人の波をかきわけながら観光するのは楽ではありませんでした。カンボジアがそれだけ平和になったという証拠でしょうか。しかし、例えば中央祠堂の裏手などに行くと、観光客の数も比較的少なく、落ち着いて写真撮影を行うことができました。アンコール・ワットだけで何枚の写真を撮ったことか・・・。

 こうしてたっぷりと時間をかけてアンコール・ワットの見学を終えた後、プノン・バケンに行きました。ここの寺院は 段の石段をのぼったところにあるのですが、折しも夕方だったため、夕日に照らされるアンコール遺跡を見ようとする観光客で大賑わいでした。私にとっては、夕日ねらいではなく、純粋に寺院を観光することを目的としていたため、あの人混みはとんだ「とばっちり」でした。プノン・バケンの観光を終えた後は、アンコール・トムへの入口となる南大門を見学し、日没とともにシェムリアップに戻りました。そして、ゲストハウスで夕食の後、翌日夜の航空券の手配を従業員に依頼したうえで、早々に就寝しました。

 翌月曜日はアンコール遺跡観光をはじめ、盛りだくさんのハードな一日となりました。自転車を使用した前日と異なり、この日はゲストハウスに手配してもらったバイクタクシーでアンコール遺跡めぐりの続きを行うこととしました。アンコール・トムだけであれば、自転車でも十分可能ですが、限られた時間の中でその周辺に点在する他の遺跡もできる限りこの目に収めようと考えていたため、バイクタクシーを使うこととしたものです。運転手とは、シェムリアップ市内(空港送迎を除く)の観光やアンコール・トム周辺の遺跡観光も含めて1日10米ドルで合意しました。それにしても、レンタルサイクルだと1日わずか1ドルで、バイクをチャーターしても1日10ドルですむとは助かります。路上で拾うバイクタクシーだと本当に信頼できる人かどうかの不安がつきまといますが、宿に紹介していただいた運転手だっただけに、比較的安心して任せることができたこともうれしかったです。

 ゲストハウスで所定の航空券が予約できたことを確認の後、まずはシェムリアップ市内の観光を簡単に行いました。といっても、市内は見所に乏しいので、ゲストハウスの周辺とオールド・マーケットとその周辺を訪れた程度です。次いで、前日と同じくアンコール遺跡に向かい、南大門をくぐってアンコール・トムのエリアに入り、その中心にあるバイヨンの見学から始めました。壮大な彫刻が見事なバイヨンは、アンコール・ワットと並んで非常に見応えがあり、脳裏に焼き付いて離れませんでした。その後、「隠し子」という意の遺跡バプーオン外観、ライ王のテラスなどの彫刻が見事な王宮跡、プリア・パリライ、大仏、クリアン、プリア・ピトゥなどを時間をかけて見学しました。猛暑の中の観光は労力を要し、この時点でかなり疲れたため、午後の観光に備えて昼食をとりました。

 午後はプリア・カンの見学を皮切りに、バンテアイ・プレイ、ニャック・ポアン、クオル・コー、タ・ソム、東メボン、プレ・ループ、スラ・スラン、バンテアイ・クディ、タ・プローム、タ・ケウ、チャウ・サイ・テボーダ、トマノンを立て続けに訪れました。まさにアンコール・トム周辺の主な遺跡を「総なめ」にしたような観光で、一つ一つが非常に見応えのある遺跡であっただけに、終えた後にはかなりの疲労感に見舞われました。バイクタクシーの運転手からも、「1日でこんなに廻る人はこれまで見たことがない」と言われました。しかし、これで1日半の時間で憧れのアンコール遺跡の主なものは見学し終えたこととなり、旅人としては大きな満足感がありました。

 こうしてアンコール遺跡の観光を終えた後、シェムリアップに戻り、ゲストハウスで荷物とベンコクへの航空券(150米ドル)を受領したうえで、チャーターしたバイクで空港に向かいました(別料金で3米ドル)。そして、出国審査を経て所定の飛行機に搭乗し、バンコクのドン・ムアン空港に戻りました。タイの入国審査等を終えたころには、時計の針は21時15分ごろになっていました。その日は当初、バンコク市内からの夜行バスでウボン・ラーチャターニーに向かうことを考えていましたが、いったん空港から北バスターミナルに行き、そこからさらに目的のバスを探したりしていると時間がかかるので、空港に隣接する空港駅からそのまま夜行列車でウボン・ラーチャターニーをめざすこととしました。事前の調査で21時49分ドン・ムアン空港駅発のウボン・ラーチャターニー行きの夜行列車があることがわかっていたので、速やかに空港駅に向かいました。駅の切符売り場で寝台車の切符を求めましたが、あいにく寝台車どころか2等車及び3等車の座席も満席で困りました。しかし、時間の都合上、どうしてもこの列車に乗る必要があったので、やむなく3等車の「立ち席」に乗ることとし、座席に座らぬままに一夜を過ごす決意をしました。案の定、到着した列車は超満員で、乗り込むのさえも一苦労というような状態であり、何とか乗車しても「立つスペース」さえもろくになかったため、かなり悲惨な10時間を過ごすこととなりました。途中、あまりの疲労のあまり、地べたに座っていましたが、そのような状態を続けていると今度は尻が痛くなり、結局は立たざるを得なくなります。これでは睡眠もろくにとることができません。もう二度と乗りたくない列車の一つです。

 やっとの思いでウボン・ラーチャターニーの駅に到着した後、駅前の小さなターミナルで発車寸前だったソンテウに飛び乗りました。このソンテウがどこに向かうのか、確たることはわかりませんでしたが、明らかに地元の人と思われる乗客が多かったので、旅人の直感でおそらく市内の中心部に向かうものと見込んだわけです。ガイドブックの地図で見ると駅から市内中心部まではさほど距離があるわけではなさそうでしたが、なかなか着かないので、「もしかすると長距離移動用か」との一抹の不安が脳裏をよぎりました。しかし、しばらくすると、予定していた中心部に無事到着したので、一安心でした。ソンテウを下車後、時間の制約から、1時間程度で簡単に市内観光を行うこととしました。まずは、かつて訪れたバンコクのワット・ベンチャマボピットを模して建てられたと言われるワット・シーウボンラットを見学した後、真向かいにあるウボン国立博物館に行きましたが、まだ開館前の時間帯でした。そこで、付近のトゥン・シー・ムアン公園に行き、広々とした園内を散策しました。本来は点在する他の見所も訪れたかったのですが、早くラオスに向かう必要があったので、ここで市内観光を打ち切ることとしました。

 トゥン・シー・ムアン公園周辺でトゥクトゥクをつかまえてバスターミナルに行き、そこでピブーン・マンサハーン行きのソンテウに乗車しました。タイの長距離用ソンテウは、発車してしばらくは乗客の乗り降りが多く、なかなか前に進まないものですが、やがて快適に走り出しました。料金も非常に安いので、気持ちが良いものです。1時間余り走ってピブーン・マンサハーンの町に到着しましたが、途中の景色は殺風景でした。ピブーン・マンサハーンのターミナルでチョーン・メック行きのソンテウに乗り換え、引き続き国境に向かいました。このソンテウは速度が遅く、しかも途中でガソリン補給するなど時間のロスが目立ちましたが、さらに1時間程度を経て、ようやく国境町のチョーン・メックにたどり着きました。

 チョーン・メックのターミナルには国境までのバイクタクシーが止まっており、国境まで10バーツだと言うので、歩いてもたどり着けるだろうとは思いつつも、それで国境に向かうこととしました。到着後、陸路国境独特の雰囲気(中米諸国の陸路国境とよく似ています)を感じつつ、徒歩で出国審査を通過し、いったんタイを離れました。次いでラオスの入国審査に入り、アライバルビザを取得(顔写真は事前に用意)のうえ、正午過ぎにラオスに入国しました。タイとラオスとの国境のほとんどには川がありますが、ここは唯一、川を越えることなく越境できるところです。

 ラオスの入口はワンタオという名の小さな村で、藁葺き屋根の住居が建ち並ぶのどかなところでした。この村でバイクタクシーの運転手からパクセーまで行かないかと言われましたが、私はただちに世界遺産のワット・プーとコーンパペンの滝に向かいたく、バイクで行くにはあまりに距離があるため、車のタクシーはないものかと周囲を探しました。しかし、なかなかそれらしきものは見あたらず、いったんはそのバイクタクシーでパクセーまで出ることに決めました。ところが、バイクが走り出して1分と経たないうちに、広いソンテウ乗り場に停車中の車のタクシーの姿が目に入り、慌ててバイクを止めてもらい、車のタクシーの運転手と交渉を始めました。結局、そのバイクタクシーの運転手に対しては、一銭も支払わないままにお別れすることとなり、少々申し訳ない気分でした。

 やっとのことで見つけた車のタクシーの運転手とは、ワット・プーとコーンパペンの滝を訪れ、その日じゅうにパクセーに戻ることを条件に、約2,500バーツ(約7,500円)で合意しました。ワンタオを出発した車はまずはパクセーの町に到着したので、パクセー・ビエンチャン間の夜行特急VIPバスを運行しているキエンカイ・バス会社のチケットオフィスに連れていってもらうこととし、そこでその日の20時半発の夜行バスのチケット(169,000キープ)を購入しました。結果的に、その日の夜にパクセーに戻る時間がぎりぎりとなったことを思うと、昼間の時点であらかじめこのチケットを購入しておいたことは「大当たり」でした。次いで、国道を南下してワット・プーを目指すこととしました。ワット・プーへのゲート・シティとなるチャンパーサックの入口にさしかかった辺りで、車は川を渡るために船に乗り込みました。船は10分程度かけて(待ち時間などを含めるとさらに時間を要す)メコン川を渡り、対岸のチャンパーサックの町に入りました。それはそれで「優雅な」旅なのですが、私は「参ったなあ」と感じていました。というのも、チャンパーサックからコーンパペンの滝まではかなりの距離があり、日が暮れるまでにコーンパペンの滝まで行って20時半までにパクセーに戻ることができるかどうか、かなり危うくなってきたからです。「場合によってはコーンパペンの滝はあきらめざるを得ないか」というのがこのときの考えでした。

 川を渡ってからしばらく進んだところにあるワット・プーに到着したころには、時計の針は14時10分をまわっていました。遅くとも15時にはこの遺跡を出発しようと決めたうえで、さっそく観光にとりかかりました。前日に観光したアンコール遺跡と同じくクメール時代の遺跡ですが、私が訪れたときにはほかに観光客がおらず、にぎやかなアンコールとは対照的でした。周囲は田園地帯で、非常に閑静なところで、日本の地方の自然を彷彿とさせるような雰囲気の中での世界遺産の観光となりました。入口を入り、しばらく歩くと11世紀に建てられたと言われる南北宮殿跡があり、さらにそこから階段をのぼっていったところに本殿があります。ここから眺めるワット・プーの全景はなかなか見事でした。本殿の脇には、生け贄の儀式に使われていたものと思われる「象の彫刻」などもありました。本来はもう少しゆっくりしたいところでしたが、後々のことを考え、足早にこの遺跡を去りました。

 ワット・プーからチャンパーサックの町に戻る際には、再びメコン川を渡る必要がありました。往路は比較的スムーズに乗船できたのですが、復路はなかなか「乗客」(乗船する車)が集まらず、しばらく待たされました。早くコーンパペンの滝に向かわなければとの思いが強かったので、もどかしい限りでした。また、ようやく船が動き出しても、何せスピードが遅く、なかなか対岸にたどり着かなかったことが、焦燥感に拍車をかけてくれました。結局、チャンパーサックの町の入口(対岸)に戻ったころには16時ごろとなっており、コーンパペンの滝の訪問はかなり危機的な状況となっていました。思い切って断念して別の場所を訪れることも考えましたが、どうしても滝を見たく、また他に見所も乏しかったので、いちかばちかで滝に向かうこととしました。運転手はそれなりのスピードで運転してくれましたが、それでも距離があるため時間がかかり、ようやく滝に到着したころには18時近くとなっていました。

 20時半までにパクセーに戻っていなければならないことを念頭におきつつ、急いで小さな展望台から滝の「雄姿」を眺め、それだけで十分満足したとばかりにパクセーに戻ろうとしました。ところが、運転手から展望台の下に行ってもっと間近に滝を見ることができると聞き、焦る思いを抑えつつそれを実行に移しました。やはり滝は間近で見るに越したことはなく、展望台以上の迫力を満喫できました。これまで世界のいろいろな滝を見てきた私ですが、規模や迫力に格差があるとは言え、滝はいつどこで見てもすがすがしいものです。コーンパペンの滝も、さすがにメコン川の最急流部分と言われるだけのことはあって、比較的小規模ながら、なかなか見応えがありました。本当に何とか訪れることができて良かったと思いました。

 その後は単調な道をひたすら北上し、来た道をパクセー方面に戻りました。やがて日も暮れ、夜行バスの出発時間が迫る中での運転は大変だったと思いますが、運転手はなかなか良い人で、適度なスピードで車を飛ばしながら無事20時10分過ぎにパクセーのバスターミナルへと私を運んでくれました。最後にお礼を言い、合意した金額よりも若干多めの代金を支払ったうえで、気持ちよく運転手とお別れしました。半日でワット・プーとコーンパペンの滝の両方を見学し、その日のビエンチャン行きの夜行バスに乗車できたことは、日程の効率を考えるうえで非常に大きかったです。結局、この日は昼食・夕食をとる時間はありませんでしたが、この夜行バスはそれなりの運賃だけのことはあってなんと「車内食」のサービスがついており、空腹状態にあった私としては大助かりでした。中身は米と魚程度でしたが、空腹時に食べるものはとてもおいしく感じられるものです。

 翌朝、ビエンチャンに到着後、まずはその日のルアンパバーン行きの夜行バスのチケットを購入するために、トゥクトゥクでタラート・サオのバスターミナルに行きました。ところが、このバスターミナルではルアンパバーン行きのチケットは扱っておらず、北バスターミナルに行く必要があることが判明し(事前にもっとしっかりとガイドブックを読んでいれば防ぐことのできたミスです)、再びトゥクトゥクをつかまえて北バスターミナルに向かい直しました。到着後、その日の19時半発のルアンパバーン行きのバスのチケットを購入し、再びトゥクトゥクでビエンチャン中心部のナンプ広場の近くに行きました。付近の食堂(後でここは旅行者に定評のある食堂であることが判明)で朝食を済ませた後、レンタルサイクルを探していたところ、たまたまツーリスト・インフォメーションの看板が目に入り、そこで自転車を貸していることがわかったので、さっそく1日借りることとしました。まずはナンプ広場を見学した後、国立博物館に行き、ラオスの歴史を勉強するにはうってつけの展示の数々を見学しました。次いで、タートダム(黒塔)と迎賓館の外観を見学し、16世紀半ばに建立された(ただし、現在の姿は20世紀の再建)と言われるワット・ホー・パケオを観光しました。本堂の脇に多くの座仏像が並ぶ様子が印象的でした。さらに、向かいにあるワット・シーサケートを訪れ、1824年の建立以来破壊されずに残っている本堂と境内の様子をじっくりと見学しました。続いて、市場のあるタラート・サオを目指して北上してみると、そこは朝に誤ってたどり着いたバスターミナルでした。ターミナル脇にある市場をタラート・サオ市場であると思いこみ、ゆっくり見学していましたが、後にそこはタラート・クアディン市場であることが判明し、改めてタラート・サオに行き直しました。タラート・サオでは、混雑した屋台食堂で昼食をとったほか、不足しかけていたカメラのフィルム・電池や絵はがきを購入しました。

 午後は町の中心部からやや外れ、まずはパトゥーサイを見学しました。これはパリの凱旋門をモデルに造られた戦没者慰霊塔で、内部の展望台からはビエンチャン市内を見渡すことができました。次に、ビエンチャンのシンボルとも言えるタートルアンを訪れ、きらびやかな黄金の仏塔を四方から見学しました。タートルアン周辺にはいくつかの寺院が集まっており、タートルアン祭の折に各地から僧侶が集まる光景が目に浮かびました。その後、タラート・サオのバスターミナルに戻り、そこからバスで郊外のワット・シェンクアン(ブッダパーク)に行きました。ここはラオスでとても印象的な場所の一つで、屋外に数々の仏像が備置されているところなのです。巨大な寝仏をはじめ、ユニークな仏像も多く、見ているだけでおもしろかったです。見学後しばらくバスを待った後、ビエンチャンに戻るバスを途中下車して「友好橋」を訪れました。タイとの国境にかかるこの橋を側方から写真に収めた後、再びバスをつかまえてビエンチャンに戻りました。ビエンチャンでは、バスターミナルからナンプ広場周辺に戻り、自転車を返却したうえで夕食を済ませ、北バスターミナルに行きルアンパバーン行きの夜行バスに乗り込みました。

 翌朝、ルアンパバーンのバスターミナルに到着後、その日の夜にビエンチャンに戻るためのバスの切符を購入したうえで、乗合いタクシーで市内に向かいました。ラオスで最も美しい寺院と言われるワット・シェントーンを目指していたのですが、途中で乗合い客が次々に下車したためにやがて運転手と自分のみになってしまい、市内の一地点で私も降ろされることになってしまいました。その地点がどこなのか、当初はよくわからず、たまたま近くにあった趣のある寺院らしきものを訪れたところ、そこが開館前の王宮博物館であったことがしばらくしてわかりました。ここは開館後に再び訪れることとし、さらに東に歩いて最初の目的地であるワット・シェントーンを訪れました。非常に端正な寺院で、レッド・チャペルのモザイク画も美しく、見応えがありました。次いで、ワット・シェントーンの西に建ち並ぶいくつかの寺院を見学した後、途中でクアンシーの滝(及びムホン族の村)を訪れる半日ツアー(午後1時半集合)の宣伝ボードを見かけたので、もとよりタクシーをチャーターしてでも行こうかと考えていた場所であったため、即断で申し込みました。これで、ルアンパバーンの市内観光はそれまでの半日ということになったので、少し気合いを入れて歩き始めました。西に向かって歩を進めつつ、開館直後の王宮博物館をゆっくりと見学しました。さらに、博物館の裏手にある丘(「仙人の丘」の意のプーシー)をのぼり、プーシーからのルアンパバーンの眺望を楽しんだ後、「下山」してワット・ビスンナラートを訪れました。このころには早朝の涼しさも薄らぎ、暑さがひしひしと感じられるようになり、観光に体力を要しました。見学後、タラート・ダーラー(市場)を訪れようとしましたが、すでに撤去(移転)されたとのことで、あきらめました。引き続きワット・タートルアンを訪れ、仏を守る女神として崇拝されているナーン・トランニーなどを見学した後、多くの参拝者(集団)で賑わっていたワット・パバート・タイに行き、他の寺院とはやや趣を異にするその様子をゆっくりと見学しました。そして、トゥクトゥクを利用してタラート・プーシー(市場)を訪れ(実はタラート・プーシーはワット・パバート・タイからはトゥクトゥクを利用するほどの距離ではありませんでしたが、手元の地図の範囲外だったので、やや距離があるものと誤解しました)、ついでにちょっとした買い物もしました。

 午後になり、タラート・プーシーからトゥクトゥクで市内の中心部に戻り、モン族の市場を見学しました。次いで、付近のレストランで昼食をとり、ラオスの名物料理のラープ(挽肉をメインとする料理)を味わいました。昼食後はメコン川を沿いの土手を少し歩いた後、午前中に申し込んだ半日ツアーの出発点に戻りました。私を含めて参加客はわずか3名のミニツアーはほぼ予定時刻どおりに出発し、1時間ほどかけてクアンシーの滝まで運んでくれました。途中、車内で知り合った他の2名の参加客と雑談をしていましたが、イギリス人と日系アメリカ人の組み合わせで、ともに日本で英語の教師をしている方でした。乾季だったためか、滝は写真で見たものよりも水量が少なく、期待していたほどの迫力はありませんでしたが、それでも訪れる価値のあるところだと思いました。車中泊続きの身だったこともあって、本来は滝壺に全身浸かって暑気払いをしたいところでしたが(上記英米人は気持ち良さそうに滝壺に浸かっていました)、水着を持ってこなかったのであきらめました。帰路にムホン族の村に立ち寄りましたが、ここはたいていの日帰りツアーコースに組み込まれているせいか、観光客に金品を要求しようとする人が多く、ややがっかりでした。ルアンパバーンの市内に戻った後は、まだ夜行バスの乗車までに時間があったので、トゥクトゥクをチャーターして近郊のバーン・パノム(織物の村)にまで足をのばすことにしました。ちなみに、トゥクトゥクを探す過程で歩いたメインストリートのシーサワンウォン通りでは、車が通行止めになり、露天が開かれていました。私がバーン・パノムを訪れたときには、すでに村の入口にある布売り場は閉まっており、また織物をしている人々の姿を見かけることもできなさそうだったので、短時間の滞在で村を離れることにしました。その後、ルアンパバーンのバスターミナルに行き、夕食をすませ、ビエンチャン行きの夜行バスに乗車しました。この夜行バスは途中で故障のために立ち往生し、一時はどうなるかと思いましたが、1時間近くして何とか運転を再開してくれてほっとしました。

 翌朝、ビエンチャンの北バスターミナルに到着後、タラート・サオのバスターミナルに移動し、周辺で営業していた数少ない屋台で朝食をとったうえで、タイに戻るバスを待ちました。タイ方面行きのバスは、国境町のノーンカーイ行きのものとそこからさらに1時間ほど進んだウドーン・ターニー行きのものとがありましたが、後者の方が出発時刻が早かったこともあって、ノーンカーイの観光はパスしてウドーン・ターニーに直行することとしました。バスはビエンチャンを出発後、順調に進み、友好橋を渡って国境にたどり着きました。そこで出入国審査を経てタイに再入国した後、再び乗り込み、さらに1時間程度のドライブを経て、ようやくウドーン・ターニーの町に到着しました。ウドーン・ターニーの町は見所には乏しいところですが、せっかく訪れたからには観光しようと思い、ノーン・プラジャック公園など、1時間ほど市内を歩き回りました。ラオスと違い、セブンイレブンのようなコンビニがあり、そこで冷えた飲み物を手軽に買うことができたのが印象的でした。市内観光を終えた後、ウドーン・ターニーの東にある世界遺産のバーン・チアン(先史時代の墳墓遺跡が発掘された町)に行くこととしました。ソンテウがあるとの情報をもとに、その乗り場を探すために道行く人に何度か聞いたのですが、聞く人によって言うことが異なり、困り果てました。結局、1時間近くの時間を要し、ようやく正しい乗り場を探し当てることができました。しかし、その後もソンテウはなかなか出発せず、客待ちのためにさらに1時間近く待たされました。当初は午前中じゅうにバーン・チアンに到着するつもりでいましたが、結局、午前中はウドーン・ターニーにとどまり続けることになり、時間をかなり無駄にしてしまったような気がしました。

 1時間半程度のドライブを経て、ようやくバーン・チアンに到着したころには、午後1時を過ぎていました。ソンテウを降り、まずは国立博物館をゆっくりと見学しました。非常に小さな町の規模からすると、並はずれて充実した展示という感があります。その後、徒歩でワット・ポー・シー・ナイを訪れ、発掘現場の様子と発見されたままの状態で展示されている人骨などを見学しました。両者とも考古学に対する素養があればもう少し楽しめたのかもしれませんが、私には通常の考古学博物館と同じような展示に思え、世界遺産としての真価を十分に見いだせませんでした。その後、町の中心部にある小さなマーケットにあった屋台で麺を食べ、ロッカーに手荷物を預けていた国立博物館に戻りました。

 バーン・チアンからの帰路は、交通手段の確保にやや苦労しました。往路と同様にソンテウに乗ろうとしたところ、博物館の人から「ソンテウはこの時間はもうない」とのことで、ハイウェイまでバイクタクシーで行き、そこでウドーン・ターニー行きのバスをつかまえるしかないと言われました。「面倒なことになったなぁ」と思いつつも、博物館の守衛にバイクタクシーを呼んでもらい、50バーツでハイウェイまで運んでもらい、通りかかるバスを待ちました。あてもなく何時間待たされるのか不安でしたが、しばらくするとバスが通りかかったので、すかさず止め、無事乗り込むことができました。ウドーン・ターニーに戻ったころには、時計の針は午後4時半近くとなっていました。手短にすませようと考えていたウドーン・ターニー&バーン・チアン観光でしたが、バーン・チアンがアクセスしにくい場所にあることもあり、ずいぶんと時間がかかってしまったものです。

 ウドーン・ターニーの次はコーンケンに向かうこととしました。しかし、バスの発車がやや遅れたこともあり、コーンケンに到着したころには日が沈みかけていました。大急ぎでバスターミナル周辺を散策しましたが、それが精一杯で、市内観光が不十分なままにこの町を去ることになってしまいました。残った時間は、次の目的地のピッサヌローク行きのバス(19時半発)の切符を購入したうえで、ターミナルの食堂で夕食をとっていました。交通の要衝コーンケンからピッサヌロークに行く人は予想外に多かったようで、バスの切符は「立ち席」しか購入できず、ピッサヌロークまでの約5時間を立ちっぱなしの状態で辛抱せざるを得なかったことは、辛い経験でした。もっとも、バンコクからウボン・ラーチャターニーへの混雑した夜行列車内での立ち席を強いられたときよりはまだましでしたが・・・。

 深夜にピッサヌロークのバスターミナルに到着後、バスターミナル内に構える宿から客引きを受けたので、疲れていたこともあってそれにそのまま「乗る」ことにしました。1泊150バーツの安宿でしたが、何しろ5日ぶりのベッドとシャワーだったため、私には「快適」そのものでした。11年前に西欧で4泊連続の車中泊を経験したときにもひしひしと感じたことですが、夜行移動が重なった後に得られる「久々のベッド」は、まさに至福の極致です。

 翌朝は睡眠不足にもかかわらず、朝早くから観光を開始しました。まずはピッサヌローク市内の観光を行うために、バスターミナルからバイクタクシーをつかまえたうえで、1357年に建立されたと言われるワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート(ワット・ヤイ)を訪れ、その優美なたたずまいをゆっくりと見学しました。その後、徒歩でピッサヌロークの「名物」とも言えるナーン川に並ぶ「ハウスボート」(水上住宅)を見学したうえで、時間の節約のためにあえてバスターミナルまで戻らずに、付近のバス停から世界遺産スコータイ行きのバスに乗り込みました。

 スコータイのバスターミナルに到着後、まずはスコータイ市内(新市街)を観光しました。ターミナルからのソンテウで市内の中心部まで行った後、徒歩で地元の人々が参拝するサーン・プラ・メー・ヤーを訪れました。その後、近くの屋台で朝食をとり、市内を散策したうえで、約14キロ離れた遺跡エリアに行くためのトゥクトゥク(70バーツ)をつかまえました。スコータイ遺跡の観光に当たっては、レンタルサイクル店を訪れて自転車を借りました。1997年2月にアユタヤを訪れた際も、猛暑の中、自転車で遺跡めぐりをしましたが、それと似たような観光パターンとなりました。

 遺跡への入場券を購入した後、スコータイ朝の最盛期を築いたラームカムヘン大王の記念碑、王室寺院ワット・マハタート、3基のプラーン(塔堂)をもつワット・シー・サワイ、「銀の池」の西にあるワット・トラパン・グーン、ワット・サ・シー、スコータイ最古の建造物と言われるター・パー・デーン堂を立て続けに見学しました。その後城壁の北側にまわり、巨大な座仏像のワット・シー・チュムと大規模な寺院跡であるワット・プラ・パーイ・ルアンを見学しました。さらに、城壁の西側の見所にも足を伸ばし、丘の上に残る仏像ワット・サパーン・ヒンを見学しました。続いて、今度はラームカムヘン国立博物館まで一気に戻った後、城壁の東側の見所をまわり、ワット・トラパン・トン・ラーンやワット・チャーン・ロームなどを見学しました。最後に城壁の南側の見所に足をのばし、ワット・チェトゥポンなどを見学しました。

 自転車を返却した後、レンタルサイクル店でタクシーをチャーターし、スコータイとともに世界遺産に指定されているシー・サッチャナーライ遺跡公園を訪れました。郊外の博物館を見学後、ワット・カオ・パノム・プレーン及びワット・スワン・キリー、ワット・チャーン・ローム、ワット・チェディ・チェット・テーオ、ワット・ナーン・パヤーなどを立て続けに見学しました。その後、遺跡中心部の東にあるワット・プラ・シー・ラタナー・マハタートなどを見学しました。ワット・プラ・シー・ラタナー・マハタートは規模も大きく、全体の調和のとれた遺跡で、なかなか見応えがありました。これらの観光を終えてスコータイに戻ろうとしたところ、タクシーの運転手からさらにWat Suan Kaeo Vtthayan Yai、Wat Chom Chuen、Wat Chao Chanの3つの寺院跡を紹介され、手短に見学しました。これでシー・サッチャナーライ遺跡公園の見所はほぼ見尽くしたのではないかと思います。

 タクシーでスコータイに戻った後は、バスターミナルからバスに乗ってピッサヌロークに帰りました。預けていた荷物を宿で受け取ったうえで、予定どおり午後9時発の夜行バスに乗車し、バンコクに向かいました。このバスは飲み物などのサービスがあり、なかなか快適でした。バンコクの北バスターミナルまでノンストップなのかと思いきや、午前3時過ぎにドン・ムアン空港からさほど遠くないと思われる場所で停まったので、そこがどこであるかよくわからないままに、すかさず下車しました。そして、近くに停車していたタクシーをつかまえて空港まで行くように言ったところ、運転手は100バーツと言い張ってメーターを倒そうとしなかったので、速やかに別のタクシーに乗り換えたところ、こちらは素直にメーターで走り出してほっとしました。ほどなくして無事空港に到着しましたが、料金は70バーツほどですみました。やはり、過去にバンコクを訪れた経験をもとにした勘に頼ってバスを下車した地点は、空港からさほど遠くない場所であったようです。おかげで想定していた時刻よりもやや早めに空港に到着し、その結果一番乗りで搭乗手続きを終えることができました。帰路は特にトラブルもなく、無事帰国しました。わずか10日間の短い行程ながら、持てる時間を最大限に使いつつ、東南アジアを代表するさまざまな遺跡や自然を訪れることができ、充実した旅行となりました。




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